三条駅 (京都府) (Sanjo Station)

三条駅(さんじょうえき)は、京都府京都市東山区五軒町にある、京阪電気鉄道の鉄道駅。

駅ホームのカラーリングは橙色。
これは抵抗器の抵抗値を表すカラーコードで「3」を意味する。

かつて京阪電鉄では、自社や京都のターミナル駅であることを強調するため、「京都三条駅」・「三条京都駅」と呼んでいたこともあった。

三条京阪という名称で親しまれており、京都市営地下鉄東西線やバスターミナルではこの名称で示されている。

利用可能な鉄道路線

京阪電気鉄道

京阪本線

京阪鴨東線

両線とも当駅が終着であるが、当駅を介して一体のダイヤが組まれているため、事実上途中駅となっている。

なお、以下の路線とも地下通路で連絡している。

京都市営地下鉄

京都市営地下鉄東西線(三条京阪駅)

駅構造

待避設備を備えた配置2面4線のホームを持つ地下駅で、京都市の中心部にある七条駅~出町柳駅間では最も規模が大きい。
改札・コンコースは地下1階、ホームは地下2階にある。
改札口は北改札と中央改札の2か所。
地下1階の改札内には京菓子などの土産店がある。

身障者対応エレベーターは中央口南側2基設置され、コンコース地上間は南北2つの駅ビルの中に設置されている。

京都市営地下鉄東西線「三条京阪駅」とは改札外の連絡通路で結ばれている。

のりば

全ホーム8両編成の停車が可能。
特急・K特急は全て1・3番線から発車する。

発車メロディが導入されている。

利用状況

周囲は飲食店が多く、夜になると若者やサラリーマン等で賑わう。

駅周辺

駅の周辺およびバスのりばについては三条京阪を参照。

歴史

三条大橋東詰の場所に駅を設けたのは、のちに京阪京津線となる京津電気軌道が先であった。

1912年(大正元年)8月15日 京津電気軌道(現在の京津線)の三条大橋駅が仮開業。

正式な開業区間は古川町(後の東山三条駅)が起点であったが、実際には三条大橋駅を起点として運行されていた。
道路管理者の京都市側の事情で三条大橋~古川町は仮開業となる。
場所は三条通上にあった。

1912年(大正元年)12月13日 三条大橋-古川町に特許が下り、正式開業となる。

1915年(大正4年)10月27日 京阪電気鉄道の三条駅開業。

1923年(大正12年)2月20日 京津電気軌道の三条大橋駅が京阪の駅の横に移転(のちの京津三条駅)。

1925年(大正14年)2月1日 京津電気軌道が京阪電気鉄道に合併され、同社京津線となる。

1943年(昭和18年)10月1日 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。

1949年(昭和24年)12月1日 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。

1949年(昭和24年)11月25日 京津線の三条大橋駅を京阪本線三条駅と統合し三条駅に改称。

1987年(昭和62年)4月1日 京津線の三条駅を京津三条駅に改称。

1987年(昭和62年)5月24日 京阪本線三条駅地下化。
京津線と分断。

1988年(昭和63年)9月1日 地下駅が終日全面禁煙化される。

1989年(平成元年)10月5日 京阪鴨東線(三条-出町柳間)開業。
京阪本線と京阪鴨東線との相互直通運転開始。

1994年(平成6年)3月21日 京阪線の駅事務所にて、ファクシミリサービス開始。

1997年(平成9年)10月12日 京津線京津三条-御陵間廃止により京津三条駅廃止。

2003年(平成15年)8月 コンコースにインフォーステーションを新設。

2004年(平成16年)1月24日 コンコースにATM設置使用開始。

2007年(平成19年)6月22日 機械式立体駐輪場「エコステーション21 京阪三条」運用開始。

2007年(平成19年)11月23日 B1Fコンコースにコンビニ「アンスリー」とベーカリーショップ「志津屋」がオープン。

地上時代

地上時代は三条通の南、三条大橋東詰南に駅施設があった。
京阪線の地下化工事が始まる直前(1978年頃)の状況を記す。

京津線では降車ホームにも番号がついていたが、京阪線は番号がなかった。

京阪線

1番線

宇治行きのりば。
櫛形で降車ホームあり。
かつての「京阪60形電車」直通用線路の片割れで、延長上に京津線の7、8番線があった。
有効長が短く、4両編成までしか入線できなかった。

2番線

特急のりば。
櫛形で反対側(降車用)は3番線と一体のホーム。

3番線

急行・準急のりば。

4番線

大阪方面普通のりば。
3番線とは対向する形。
もっとも鴨川寄りにあった。
ホーム構造の関係上、4番線発着列車と京津線との乗り換えには北端を迂回しなければならなかった。

2番線と3番線の間には、急行の乗客のために構内踏切が設けられていた。
特急の入線中は、特急の両方の扉を開き、車内を通って3番線に行けるようになっていた。

京津線 - 平面図が「E」の形をした櫛形ホームで、真ん中のホームがのりばだった。

5番線

急行・準急の降車用ホーム。

6番線

急行・準急のりば。

7番線

普通のりば。
「びわこ号」直通線路の片割れ。

8番線

普通の降車用ホーム。

1番線と7番線の間の線路は戦後も長く残っていた(1961年に京阪線・京津線の直通営業運転終了、1965年過ぎまで京津線の新車の回送に使用)が、1970年頃に撤去され、それぞれの端にコンクリート製の車止めが設置された。

駅舎全体は琵琶湖疏水を跨いで建てられており、通路からしぶきを上げて流れる疏水が見えた。
また4番線のホームは鴨川の河原の上に張り出していた。

駅構内には飲食店やみやげ物店が軒を連ねる一角があり、ちょっとしたターミナルの様相を呈していた。

入口は高山彦九郎像のある三条大橋側と、京津線乗り場に近い若松通縄手通角に開いた南口があった。
タクシー乗り場は北口、バスのりばは南口に面していた。

京津線のホームが京津三条駅として分離されてからは6番線が1番線、7番線が2番線となり、降車用ホームの番号がなくなった。

その他

京津線の駅跡は廃止後もしばらく駅舎が放置される等手付かずになっていたが、再開発の一環として2003年にようやく複合商業施設「KYOUEN」が開業した。
黒を基調とした町屋風の建物で、京都初出店の店舗が多く入居している。

京津三条駅には定期券の発売所がなく、定期券を求めるには地下の京阪三条駅のコンコースまで行く必要があった。

京津三条駅改札の西側に伝言板が設置されていたがチョーク等は置かれていなかった(1994年以前は未確認)。

京津三条駅から京阪本線へ乗り換える際は1枚の切符で可能であったが、東西線開通後は改めて切符を買いなおすことが必要になった(しかし2007年4月1日のPiTaPa導入である程度の改善は図られた)。

本線から京津線(地下鉄東西線)への乗り換え案内は、1980年代頃までは「大津、石山、坂本方面」、1990年頃から京津三条駅廃止までは「山科、大津、びわ湖方面」と呼称していたが、同駅が廃止された1997年から2003年の間は「大津、びわ湖方面と、地下鉄東西線」と呼称(山科は東西線で直接行けるため抹消されたと見られる。)。
現在は「地下鉄東西線と、京津線・びわ湖方面」と呼称している。

大阪方面からの当駅折り返し列車は多数設定されているが、三条発出町柳行き普通列車も運用の都合で2本設定されている。
ただし、出町柳発三条行き列車は設定されていない。

大阪方面からの当駅折り返し列車は、原則として丸太町寄りの引上線に入って折り返す。
ただし、鴨東線開業前の三条駅終着時代の名残で、四条寄りに両渡り線があり、回送列車はこの渡り線を使って折り返すこともある。

2000年のダイヤ改正までは大阪方面行きは原則として3番線が特急、普通(淀屋橋駅行き)4番線が急行、普通(宇治駅 (京阪)行き)と使い分けていた。
現在では3番線が本線で4番線が待避線となっている。
(始発列車は基本的に4番線から発車)

地下化から鴨東線開業までは1番線が急行、2番線が普通(淀屋橋行き)、3番線が普通(宇治行き)、4番線が特急と平日夕ラッシュ時の普通(淀屋橋行き)であった。

ダイヤが乱れたことで出町柳ゆき列車に大幅な遅延が発生した場合、一部列車の運転を当駅で打ち切り、そのまま当駅始発として折り返すことで後続列車との運用を入れ換え、ダイヤの回復を図っている。

隣の駅

京阪電気鉄道

京阪本線・鴨東線

■K特急・■特急

四条駅 (京阪)(京阪本線) - 三条駅 - 出町柳駅(鴨東線)

■急行・■準急・■普通

四条駅(京阪本線) - 三条駅 - 丸太町駅 (京阪)(鴨東線)

京都市営地下鉄東西線

三条京阪駅 - 東山駅 (京都府)

京津線(1997年廃止)

京津三条駅 - 東山三条駅

[English Translation]